わからなくても、無数にある詩の魅力に気づくことはできる Photo: Yuto photographer / Getty Images

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クーリエ・ジャポン

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Text by Toshiko Watanabe

わからなくても、「正しい」解釈ができなくてもいい。詩の魅力は人それぞれ、無数にある。詩人の渡邊十絲子が提案する、詩の楽しみ方とは。

クーリエ・ジャポンの「今月の本棚」で6月に推薦された『今を生きるための現代詩』(渡邊十絲子)から、一部抜粋して紹介する。

プレミアム会員にご登録いただくと、クーリエ・ジャポンの「今月の本棚」コーナーで、著名人の推薦する書籍を毎月3冊、読み放題でお楽しみいただけます。この記事は、今月推薦された書籍の抜粋記事です。


手間ひまが詩を楽しくする


「解釈」ということを、いったん忘れてみてはどうだろう。

詩を読んでそのよさを味わえるということは、解釈や価値判断ができるということではない。

もちろん、高度な「読み」の技術を身につけたらそれはすてきなことだが、みんながみんなそんな専門的な読者である必要はないはずだ。

もっと素朴に一字一句のありさまをじっとながめて、気にいったところをくりかえし読めばいいと思う。わたしはふだん自分のたのしみのために詩を読むときは、そのように読んでいる。

日本の現代詩はとても高度に発達した表現形式だ。「こういう部分にこういう技巧をこらしているのは、世界文学のなかでも最尖端だろう」「こんな表現に行きついてしまっているのは、世界じゅうの書き手のなかでも、現在はこの詩人だけかもしれない」と思う部分すらある。

だから、やさしくはない。かなりの嚙みごたえがあるのはあたりまえだ。

どんな芸術分野でも、もっとも尖端的なものは、大衆的ではない。多くの人にとって、なんだか理解しにくいものであるのがふつうだ。

でも、そういう最尖端作品を味わうやり方は、ふつうの人が想像しているよりもいろいろある。その分野の批評的文脈のなかに位置づけたり、作者の思想を読みとったりすることだけとはかぎらない。

美術商が通りすがりの画廊にかかっている絵を見て「眼鏡をはずして見たほうがいい絵に見えるなあ」とつぶやく。

ファッション記者がパリコレクションを見に行き、連れに「ねえねえ、折り返しの縁のところだけ青いの見た? あれがかわいかったよね」と話しかける。

そういうちょっとした魅力のとっかかりは、無数にある。

それはあくまでも「自分にとって」魅力があればいいので、誰にも賛同してもらえなくても、自分だけが発見したその魅力点について考えつめているうちに、もっと普遍的な「読み」に合流していく可能性がひらけている。

(もちろん合流しなくたっていい。これまでのどんな説ともちがう斬新な読みをうちたてて人を説得できたら最高だ。渾身の「読み」は、ときに詩を書いた本人による解釈をも更新する)

最近わたしは、ある若い詩人の詩のなかで「こっとりと」という副詞に出会い、とりこになった。その詩は日常的な話しことばで書かれていて単語はみなやさしいけれど、全体としてはとてもむずかしい詩だ。

その詩のなかで、ふつうなら「とっくりと」と書くところに「こっとりと」という見慣れないことばが使われていたのである。

なぜ「こっとりと」なのだろうか。そのわけを考えつづけているうちに、その詩人が独特の視線でじっと見すえている「ものの手ざわり」が、少しだけわたしにもわかりはじめた気がした。

それは、わかりにくかった詩をわかっていくときの第一歩だ。

詩を読むとは、そういうたのしい手間ひまのことを言うのである。

『今を生きるための現代詩』

この記事はクーリエ・ジャポンの「今月の本棚」コーナー、6月の推薦人の玉城ティナがオススメした『今を生きるための現代詩』からの抜粋です。Web公開にあたり、見出しを追加しています。


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