かつての日本では、詩はもっと身近な場所にあった Photo: PhotoAlto/Michele Constantini / Getty Images

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クーリエ・ジャポン

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Text by Toshiko Watanabe

詩というものは、どこかハードルが高いと思われ敬遠されてしまっている。しかし少し前までは、日本社会には詩があふれていた。

クーリエ・ジャポンの「今月の本棚」で6月に推薦された『今を生きるための現代詩』(渡邊十絲子)から、一部抜粋して紹介する。

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詩の冬の時代


現代詩とはぐれたのは、いつですか。

この本を手にとってくれた人のうち、ある人々は、「いや、はぐれてはいない。いまも日常的に詩に接している」と答えるだろう。

しかし、「むかしは詩を読んでいて、1980年代ごろまでの詩人の名前は知っているけれども、今世紀に入って出版された詩集は手にとったことがない」という人は、きっとそれより多いと思う。

1960年代には、出版社ではない企業の入社試験に、その年のH氏賞(詩集にあたえられる新人賞)の受賞者を選択させる問題が出ることもあったそうだ。そのころ、同時代の詩は、一般常識の一部でありえたのだろう。いまでは考えられないことである。

わたしが詩を書きはじめた1980年代は、それでもまだ、詩人や詩の世界は元気だった。詩の注文は一般の新聞や雑誌からもたびたびあったし、詩集を出せば、人気のある女性ファッション誌にも書評が出た(詩を「おしゃれなもののひとつ」ととらえてくれたのだと思う)。

大企業の社内報や顧客向けのPR誌などが詩人に詩を書かせて掲載するのも、ごくふつうのことだった。そのころわたしがよく注文をうけて詩を書いたのは、女性下着のワコールや化粧品のコーセーといった企業が、小売店や百貨店で配布するためにつくっていた、月刊の小冊子である。

しかしいまでは、一般の新聞や雑誌に現代詩が載る機会は減ってしまったし、それどころか雑誌そのものがつぎつぎ消えていく時代になってしまって、みんな詩人の顔を見たことがない。

そういう環境のなかで、積極的に詩との接点を確保してきた人以外は、誰もがいつのまにか現代詩と疎遠になったのだ。(続く)

『今を生きるための現代詩』

この記事はクーリエ・ジャポンの「今月の本棚」コーナー、6月の推薦人の玉城ティナがオススメした『今を生きるための現代詩』からの抜粋です。Web公開にあたり、見出しを追加しています。


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第2回では、「よくわからない」と詩を拒絶する人の心理を考察する。




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